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日本一年間--高穎(图文)
   2013-04-07
 

「もう帰ったわ」久しぶりの上海についたとき、思わず口に出した言葉だった。飛行機に乗るとき、窓から下を見ると、中国に入ったことも分かったんだけど、やっぱり足が地面に踏んだときからこそ、強く実感した。

今から振り替えてみると、その一年間ってなんてはやいものか。笑われるかもしれないけど、日本に行く前、実に抵抗感が出てきたんだ。何も知らないところで一年間も生活しなければならないって考えれば考えるほど怖くなる。飛行機のとき、中国がだんだん遠くなるのを見て、なんか泣きたかった。そして、なんか帰りたかった。そのとき、隣に座っている日本人の乗客がたぶんその雰囲気を読んだのか、話をかけてくれて、そして、いろんな手伝いをしてくれて助かった。

日本に行くときはちょうど桜が満開のときだった。そのときはまだ自転車も買ってなかったから、毎日歩いて学校へ通っていた。白い花弁が一片、二片舞っているのを見て、そんなにきれいなものとは思わなかったけど、確かに世界が単純になってくるように思った。目を伏せてみると、道が白くなる。また、頭を上げてみると、空が白くなる。見回りしてみると、なんか世界も白くなるような気がした。時々、「すごいな~」っていう言葉が独り言のように口にした。

この一年間、関西国際大学のほうからもいろいろな活動を行った。四月に三木キャンパスでの焼肉とか、ロータリークラブのこととか、クリスマスパーティのこととか、そして、ゼミのボーリング活動とか、老人福祉論のサービスラーニングとか、本当にいっぱいあった。焼肉のとき、台湾人と台湾は中国の一部分かどうかについて論争したことや、ロータリークラブに参加したとき、主席台に座って質問されたことや、クリスマスパーティのとき和服を着たことや、ボーリングのとき「がんばれ!」をお互いにいったことや、そして、サービスラーニングのとき園田苑老人ホームに行って、お年寄りとゲームをやったこととか、何年経っても忘れられないことだと思う。

時々、ルームメートの韓国人と一緒に祭りに行ったり、一緒に笑ったり怒ったり、誕生日のとき、料理を作ってくれたりとか、そういうことも印象深く残っている。

観光もいっぱいやった。梅田とか、大阪とか、京都とか、宝塚とか、神戸とか、そして、四国も行った。それに、おすしもたくさん食べた。一番好きなのはサーモンとマグロなのだ。

一番面白いと思うのはゼミのとき、学生さんたちは先生として関西弁を教えてくれたことだ。毎週五分間ずつの間、いっぱいの関西弁を勉強した。今も日本語でしゃべるとき、思わず関西弁を口に出したことが多いのだ。例えば、めっちゃ(とても)とか、ちっちゃ(小さい)とか、なんぼ(いくら)とか、すっきやねん(好き)とか、ほんまに(本当に)とか。

もう一つ忘れられないことは帰国の前の歓送会のことだ。先生は「日本人はみんなシャイなんだ」と言ったけど、やっぱり人によって違うと思う。アルバイト先でも学校でも大活躍の人とはいっぱいであった。

この一年間の間、一番深く感じたのは自分が中国人だということだろう。自分は中国人として生きている。時々午後一限目のとき、「疲れたな~」と思ったら、不意に先生が中国が何々と仰ったとしたら、すぐ何かに驚かれたように見開いて元気になってきた。そういう感じはたぶん経験しないと分からないかもしれない。中国にいるときはいつも「ああ~」とどうもこうも文句ばかり言ったんだけど、一旦中国を離れると、中国はいいなぁという考えになった。そして、友達に聞かれると、なんか個人的な問題は僅か少ないと思う。何が多いかと言うと、やはり中国についてのことだ。と言うことで、中国人として外国にいる限り、もし何かよくないことをやったとしたら、何が崩れたかというと、それは個人的なイメージではなくて、中国のイメージだ。だから、外国に行く機会があると、その身振りとか、行いとか注意しなければいけないと思う。

一応、日本に行っていろいろな体験をしてよかったと思う。

 

译文:

回到上海的时候,不禁脱口而出“终于回来了呀。”在飞机上从窗口向下看的时候,虽然也能明明白白的知道自己进入了中国国境,不过那只是一种认知。只有当自己的脚踏踏实实地踏到了地上,才真正让人感到自己回国了,才能真正让我意识到自己周围将不再都是日本人而是和自己一样的中国人。

现在再回头想想过去一年的生活,只能感叹光阴似箭。说实话,一年前在临近出发前的时候,自己曾有过抵触。毕竟是要在一个全然陌生的地方生活一年。越是细想就越感到让人感到惶惶不安。在乘坐飞机的时候,看着中国变得越来越小,变得离自己越来越远,不自禁的有点想哭,有点想回家。邻座的一位日本乘客可能是察觉到了我的思乡,为了转移我的注意力而时不时地与我说话聊天。现在想想,真是不胜感激。

在我到达日本的时候,正是樱花盛开之时。那时由于还没有买自行车,每天都是步行着去学校的。看着樱花一片两片,一朵两朵地纷纷而落,虽并不认为那就是一美到极致的景色,却也让人心生感叹。总觉得被樱花所包围的世界变得干净了,变得纯洁了。不会有什么尔虞我诈,不会有什么心口不一。低头看看,是一片白色的街道,偶尔仰头一望,天空仿佛也被花朵渲染成了白色。回目一转,整个世界似乎都变成了白色。

在所处的这一年中,关西国际大学校方为了让留学生生活更丰富多彩而举办了许多的活动。比如四月份在三木校区举办的烤肉大会、参加友好交流学会俱乐部、圣诞会、班队组织的保龄球大赛、老人福祉论课程的课外实践活动等等不胜枚举。若每次活动都例举一件相关事宜的话,不得不说在烤肉时,是和来自台湾的同学的关于中国主权的事情;参加俱乐部时,曾坐在主席台上让主持人以及台下的人提问;在圣诞会上穿上了据说是日本最为正式的和服(光穿上就要半个多小时);而保龄球大赛上大家相互之间的一声“加油!”就能让人精神一振;课外实习则是多次到一处名叫原田苑的老人院去和当地的老人聊天玩游戏。这些事情是无论经过多少年都无法忘怀的吧!

时不时的,还会和韩国室友一起去参加祭典活动,逛逛走走兜兜的。大家一起笑一起怒。特别让我感动的是我生日那天,她亲手做了韩国料理,并用中文对我说了一句祝你生日快乐!虽然发音有点奇怪,但当时的感动直到现在仍保留着……

难得的在日本呆了一年,一定的观光旅游也是必不可少的。梅田、大阪、京都、宝冢、神户、四国等地都有着自己的足迹。说道吃的方面,到了日本,不吃寿司那就几乎可以说是白来了的。个人觉得三文鱼寿司和金枪鱼寿司是最好吃的。

要说到最有意思的事,那便是每周班课上的“五分钟关西腔”。课上由日本学生到将台前充作老师来给我和韩国小姑娘讲解一句关西腔。在这不间断的每周五分钟里,渐渐的自己脱口而出的话语里也时不时地会冒出几句关西腔了。

至于在归国之前的欢送会那也是让人印象深刻的。虽然老师曾说日本人都是极为害羞的,但那应该也是因人而异的吧。毕竟我无论是在打工的地方还是在学校里都遇到了许多极为活跃的人。

自己是一个中国人。在这一年中感触最深的就是这一点了吧。第一次那么深刻的体会到自己是作为一名中国人而活着的。有时候下午第一节课由于吃完饭后的血液循环等问题,人会容易犯困。这时只要一听到“中国”这两个字,马上就能精神一振,变得精神抖擞起来。这种感觉或许只有亲身体会了才能明白。在国内的时候总觉得中国这个不好那个不好,可是出去了,总想着中国有什么不好的?中国不也挺好的么!而且同学朋友之间问起来问的不是你个人的事情,问的多的反而是中国什么什么的。也就是说,作为一个国人在国外的表现会直接影响到中国的形象。

 

日语063 高穎

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